テレビウォッチャー

2014年3月26日水曜日

映像メディアの調査はどのように行われているのか? 第3回:「ラジオ調査」の礎は

NHKの聴取率調査
  昭和23年から始まった聴取率調査はどのようなものだったのでしょうか?
 聴取率の調査はGHQGeneral Headquarters:連合国最高司令官総司令部)の指導で昭和21年設置されたNHK放送文化研究所の世論調査部により、戦後初めて実施されました。
 当時の聴取率調査は5分番組は3ミリの、15分番組は5ミリ、それ以上の放送番組は30分番組なら1センチ、60分番組なら2センチといった目盛りで仕切られた調査票をNHKの専属調査員が調査対象者の所に出向いて行き、「ロスター」というカレンダー・タイプの番組表を調査対象者に見せながら、その日の行動から聴いた番組を思い出してもらって、調査員が直接調査票に書き込んでいく「パルス方式」と呼ばれる方式で行われました。そのとき“番組を聴いた”かどうかの基準は、その番組の放送時間を半分以上聴いた場合、「聴いた」と判定すると決められました。
 また調査は前日放送された番組についての聴取状況は、翌日面接で答えてもらう隔日の調査によって行われました。
 昨日聴いた番組について、翌日、調査員がやってきて、“お聴きになられた番組は…”と面接調査するのです。随分、まどろっこしい調査ですよね。

民放の調査
  昭和26年、民放ラジオが開局したことによってラジオの調査は飛躍的に発展していくのです。しかしそうはいっても、民放には大きな障害を乗り越えなければならない問題が多々ありました。
 一つは「事大主義」という風潮です。“長いものには巻かれろ”、“寄らば大樹の陰”という言葉があるように、「官尊民卑」ということでNHKに対する国民の信頼性は大きく、民放のつけいる隙はありませんでした。加えて「不利な電界強度」です。みなさんご存知のように、周波数帯は低いほど電波は強く、遠くまで届きます。NHKとラジオ日本とを聴き比べるとお解りでしょう。NHKの放送は千葉県や埼玉県でも聴くことが出来ますが、ラジオ日本の番組は神奈川県とごく一部の東京都でしか聴くことは出来ませんね。後発のラジオ局はこの「周波数帯」で、すでにNHKよりも不利な状況に置かれていたのです。
第三は「宣伝は虚偽・誇大」でした。広告は大風呂敷を広げ、嘘八百を並べたてただけのものだという先入観念が払拭されていなかったのです。
 それでも民放ラジオは“Free Radio”の旗印の下、「好きで聴く民間放送」、「生活を豊かにする民放ラジオ」と“聞かされるラジオから聴くラジオへ”のキャンペーンを展開し、必死にNHKの優位性に食い下がったのでした。

 台風による水害をものともせず、腰まで水に浸かりながら被害状況を伝えたラジオ九州(RKB毎日)のアナウンサー。折からの強風に煽られ炎上する市街の状況を全身に水を被って一晩中マイクを離さず市民誘導に努めたラジオ新潟(新潟放送)の先達。彼らの必死の努力により、民放ラジオは信頼を勝ち得ていったのです。聴取率も「一対十」の番組編成などの工夫により、NHKに呉して聴かれるようになったのです。 <つづく> 

2014年3月14日金曜日

映像メディアの調査はどのように行われているのか? 第2回:本格的「ラジオ調査」

2回:本格的「ラジオ調査」
  ラジオの調査はどんなだったでしょうか?
 初めて全国ベースでラジオの調査が実施されたのは、昭和7年です。全国のラジオ受信契約世帯123万世帯を対象に、ニュース、子供の時間の聴かれ方、全般的なラジオ聴取についての希望、ラジオの受信状況などを調べたもので、調査票のハガキをNHKのラジオ聴取料の集金人が受信契約世帯を訪問して配布。結果を郵送により回収するものでした。  この調査報告書には『聴取者に対するサービス並びに事業発展に資すべき基本的統計に乏しき感ありしをもって・・・(略)・・・ラジオに関する基本的資料を収集し・・・(略)・・・民衆に対する指導機関としてのラジオの重大任務を過誤なからしめんとする云々』ことを目的とすると明記してあり、正にわが国で初めての本格的なラジオ調査でした。

ラジオ調査の内容
 質問項目は7つあって、
1問目は、現在使用中の受信機について、
2問目は、受信機の故障の頻度について、
3問目は、故障をどうしたのか
4問と5問目は、世帯の聴取番組種目について
6問目は、世帯内の個人別番組嗜好について
7問目は、NHK及び逓信省への要望
が、問われました。

結果報告書の発表
  せっかくの大規模な調査でしたが、その結果の報告書の発刊までには、随分長い時間がかかりました。どのくらいの日数を要したと思われますか? 
 なんと「結果報告書」が発表になったのは昭和94月。なんと二年後だったのです。こうした調査はその後も継続されていましたが、有効回収率は30%ほどでしたし、結果が出るまでに長い日数がかかったため、余り役には立たなかったようです。
 やはり考えるべきは調査の「迅速性」と「経済性」ですよね。
 この「調査報告書」は愛宕山のNHK放送博物館の地下倉庫にしまってありますから、ご興味のおありの方はご覧になったら如何でしょう(もちろん閲覧許可を取ってです)。僕がこの報告書を見せてもらったとき、一番興味深かったのは、その職業区分でした。
「商業」、「俸給生活者」、「無職」、「職人」、「學生」、「旅館・料理・貸座敷業」、「病院・醫師・看護婦」、「工業」、「農業」、「雑」、「不明」という区分で、「聴取者職業別比較図」として、「千分比」で書かれていたことです。
 随分時代を感じますよね。
 今のような聴取率調査がスタートしたのは昭和23年からです。戦後GHQの指導の下、昭和21年に世論調査部が設置され、NHK放送文化研究所が戦後初の本格的な聴取率調査を実施しました。

 この調査については、次回に詳しくお話致しましょう。

2014年3月4日火曜日

映像メディアの調査はどのように行われているのか? 第1回:「ラジオ調査」の始まり

1「ラジオ調査」の始まり
 みなさんは「テレビの調査」というと、“ああ、視聴率調査のことだね!”と、
お答えになる。では“ラジオの調査は?”と聞くと、“そんな調査あるの?
知らないよ”と、お答えになる方が多い。そう。テレビの調査は「視聴率調査」と、
答えられるのにラジオの調査は「聴取率調査」と答えられる方は少ないのだ。
 でも、テレビの調査はラジオの調査の経験から出来上がったのだということを、
今日はお話ししていきましょう。

調査は嗜好調査から始まった
  ラジオの調査はラジオ放送が始まった大正14年の8月に始まったのです。
このことは、NHKの放送文化研究所が毎月発刊している
「放送研究と調査(19947月号)」に書かれ、そのときのラジオの調査は
「番組嗜好調査」で、東京管内の全てのラジオ受信機契約世帯を対象に
『聴きたい娯楽番組を尋ねた』とあります。しかし知人を介してどんな調査内容で
あったのかを調べてみたのですが、戦後の混乱で実物が散逸してしまったらしく、
詳しい記述は見つかりませんでした。ただ当時の調査票を推し量るものとして、
大正151225日、大正天皇がお亡くなりになられる前の日の読売新聞の
「よみうりラジオ版」に、こんな記事がありますので、
ご紹介しましょう(原文のまま)。

どんな調査だったのでしょう?
 これは『どんなプロがお好きですか』と題し、医学博士・中村辰之助氏に
こう尋ねているのです。
 イ)あなたの御家庭には、どんな放送を御希望になりますか?
 ロ)あなたの好きなものは何ですか?
 ハ)あなたの御家庭ではどんな器械でお聴きになってゐますか?

これに対して、同氏は、こう答えているのです。

 1)現在のような五モク寿司的な、然も内容の貧弱な項目を聴いても
      いやに思ふでせう。     項目を少なくとも内容の美しいものを聴きたい
 2)真の名士(デモナイ)の時事問題又は経済問題又は落語、
      筑風の琵琶(夫れ以外の     ビワはダメ)
  3)鉱石セットに拡声器を附けたたもの

なんだか、時代を感じてしまいますね。
 もう一つは昭和元年に電氣博覧会の会場で聞き取り調査、翌2年には婦人講座
「茶の湯」や英語講座のテキストに挟み込みのアンケートが行われたとのことですが、
これらの調査も、慰安種目嗜好調査同様、調査票やアンケート用紙などは見当たらず、
それらがどのように行われたのかを知る術はありません。


 始めて全国ベースでラジオの調査が行われたのは昭和7年です。
このことについては、次回のブログで、お話ししましょう。

リサーチャー藤平芳紀の「ブログ」を開設しました!

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まずは、「テレビ調査」の原点「ラジオ調査」について

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