テレビウォッチャー

2014年4月28日月曜日

第7回:一つの番組に2つの視聴率

どっちが正しいの?
  テレビ開局当初、視聴率調査はNHKと電通の二つの調査があり、各々前者は年2回、後者は年4回行っていた。
 それぞれの調査結果には微妙な違いがあって、“どちらが正しいのか?”という議論が燻っていた。それを決定的なものにしたのは、これまでは両者の調査の調査時期が異なっていたのだが、たまたま「同じ週」になったことであった。“どっちの調査結果が正しいのか?”という「正否」論が巻き起こり、ジャーナリズムの視聴率調査への関心が一気に高まっていったのである。
操作性の違い
 そもそも統計調査は、その「操作性」によって違いが出るものである。「操作性」というのは統計の分野でよく用いられる言葉で、例えばある事象の評価の基準を決めるときに用いられる。
 NHKの調査と電通の調査の場合でいえば、「見た」の基準である。NHKの調査では、「見た」というのは番組の半分以上見たのが「見た」であり、電通の調査で「見た」というのは、番組の全部を見たのが「完全視聴」で、少しでも見たのは「部分視聴」と決められた。このため、双方の視聴結果には微妙な違いが出ることになる。下の表を見ていただこう。 



 算出される「視聴率」は、どうなるだろう?結果は40%対50
  NHKの調査の場合、各時点での視聴はAのサンプルの場合、5分番組の全ての時点を「見た」のだから、視聴判定は「見た」。すなわち「○」である。Bサンプルも放送時点の半分以上見たのだから「見た」である。しかしサンプルCDはどうだろう?「見た」のだが、放送番組の半分以下しか見ていないので「見ない」すなわち「×」となって、NHKの視聴率は表のように2/540%となる。
 他方、電通の調査ではどうだろう? サンプルAは全分数見たのだから「完全視聴」すなわち「○」である。BCDは、どうだろう? 「一部を見ていた」のだから「△」である。結果は2.5/550%である。
 こうした「視聴判定」という視聴率算出の「操作性の違い」が、両調査の視聴率の「差」となって現れたのである。 
 さて、“どちらの調査が正しいのか?”などと、言い切れるのだろうか?
 ところが視聴率の算出方法も同じなら、調査方法、調査期間も全く同じ調査が行われるようになった。機械調査の出現である。
 その場合、二つの調査のどちらが正しいのだろうか? (つづく)

2014年4月16日水曜日

映像メディアの調査はどのように行われているのか? 第6回:開局当初のテレビの調査

 今年はテレビ放送が始まって60年という節目の年であった。テレビ放送の歴史をたどるとき、「視聴率」の果たした役割は大きい。その時々の番組の移り変わりに「視聴率」の存在が大きく関わっているからである。
開局当初の視聴率調査
  「テレビの調査」には、19539月、日本テレビが開局直後に行った東京駅八重洲口・名店街のテレビ展示即売会場で来場者を対象に行った調査がある。この調査は「視聴者のテレビ感について」と題するアンケート調査で、来場者616人からの回答が得られた。また同年9-10月にはNHKがテレビ所有世帯1,330サンプルを対象に実施した「番組嗜好調査」がある。しかしこの両方の調査とも「視聴率」を調べたものではない。
 初めて「視聴率調査」が行われたのは開局の翌年からである。NHKがテレビ受像機の普及の早かった京浜地区の15歳以上の男女1,100人を対象に、また広告代理店の電通が東京23区で300世帯での調査を行ったのが、その始まりである。

導入の背景にはラジオ調査の経験
 テレビの視聴率の調査がラジオの聴取率調査の経験に基づいて実施されたことは、至極当然の成り行きである。ただ異なるのは、NHKの調査は春と秋の年2回。電通の調査は2/5/8/11月の年4回実施されたことと、その調査目的の違いであった。
 すなわちNHKの調査は“この番組はどんな人たちに、好んでみられたのか?”を知り、「番組作り」に主眼を置く調査であるため、「見た人」を対象に調査を実施したのに対し、電通の調査はテレビが“到達メディアとして家庭の中でどのように見られているのか?”に主眼が置かれていたため、「世帯」をベースとして実施されたのである。

二つの調査の違い
  NHKと電通、両者の調査の違いをまとめたものが下の表である。
 NHKの調査が「個人」を対象に、放送時間の半分以上を見た人を「視聴」とカウントしたのに対して、電通のそれは「世帯」を対象に、番組を一寸でも見たら「部分視聴」、全部見いたら「完全視聴」として、「部分視聴」を「完全視聴」の1/2とカウント。番組の視聴率を算出したのであった。このため、両社の発表した視聴率には大きな「違い」が生じたため、ジャーナリズムの関心が高まり“どちらの調査が正しいのか?”という視聴率の「正確性」を巡る議論が持ち上がったのであった。(つづく)

2014年4月9日水曜日

映像メディアの調査はどのように行われているのか? 第5回:第三者機関による「ラジオ調査」始まる

調査を手放さぬ電通
 ラジオの聴取率調査を仕切ることは、よほど美味しいものだったに違いないのだろう。頭では“調査は第三者機関で行うべきだ”と判っていても、電通が「ラジオ聴取率調査」を手放すことはなかった。
 頑なな電通を突き動かしたのは、広告代理店のライバル博報堂だった。なかでもラジオ部長のK氏の思い入れは強く、折に触れては“電通はまだラジオ調査に拘っているのですか?”、“ビデオさん。もっと積極的に動いて下さいよ”と矢の催促をしてきた。われわれとて、手を拱いていたわけではない。専務のHは電通時代の部下であったH部長に移管を強く求めるとともに、ラジオ各社を訪問。ラジオ調査の第三者調査機関への移行を積極的に説いて回ったのであった。

ついにラジオ調査がビデオリサーチの手に
 その日は唐突にやってきた。それは電通ラジオ調査担当のH部長からの一本の電話であった。“一寸来ないか?”そんな一言だったように思う。出向いてみると“ラジオ調査を呉れてやるよ”と上から目線の、実にそっけない一言だった。
 今もって、“あんなに頑なに「ラジオ調査」の移管を固辞していた電通が、なぜ?”の疑問は解けていない。ただ“時の流れとはそんなもの”との思いがあるだけである。強いてそのわけをこじつけるとすれば、その少し前、NHKのラジオ調査の調査票を、従来の番組を調査票に記入する方法から5分単位の時間軸と番組表の二本立てで実施することを提案。その「案」が高く評価され、採用されたことくらいしか思い当たらない。
 いずれにしても、長年、電通が実施してきたラジオ調査がビデオリサーチに移管され、文字通り第三者の調査機関によるラジオ調査がスタートすることになったのである。

FMラジオ局の測定を追加
 もしかするとビデオへの移行には、当時、力をつけ始めていたFM局の存在があったからかも知れない。あの頃、ビデオリサーチはFM局、とくにFM東京のG部長から強い信頼を得ており、同社の聴取率調査を実施していたのであった。
 電通の「移行」の条件も、“AM局とFM局とを同一の調査票に併記し、同じレベルで調査すること”であった。そう思うと、FM局の番組確認や調査票への付記など、繁雑な作業が増えるばかりで、“もう手放そう”との思いが電通内部に広がってきたのかも知れない。いずれにせよ、「電通ラジオ調査」は円滑にビデオリサーチ社に移行。19795月、「第1回首都圏ラジオ聴取率調査」として、新たなスタートを切ったのであった。
  520日から同月26日までの1週間の調査レポートは、72日、無事発刊された。調査の結果は電通調査とほぼ同じ傾向で、TBSラジオが最もよく聞かれているというものであったが、特筆すべきは“FM局が意外な健闘を見せたこと”を覚えている。
 次回から「テレビの視聴率調査」について論じていこう。

2014年4月3日木曜日

映像メディアの調査はどのように行われているのか? 第4回:「ラジオ調査」の発展

熾烈な聴取率獲得競争
 「事大主義」、「不利な電界強度」、「宣伝は虚偽・誇大」などの風潮は民放が開局した当初からあり、“NHKよりも聴取率が劣るなら、調査をしない方がいいのではないか?”といった声が、民放内部にあったことは否めない。
 しかし、“Free Radio”の旗印の下、編成、報道、営業を問わずこぞっての決死の努力が奏功し、民放ラジオの「聴取率」は好転していったのである。その最たるものとして、今なお語り継がれているのが、「一対十の編成」である。
 「一対十」とは、どういうことだろうか? それは自局の“弱い番組”つまり、あまり聴取率がとれそうにない番組はNHKの“強力番組”の裏に置き、自局の“聴取率の取れそうな番組”をNHKの“そこそこの番組”の裏に置き、聴取率で互角の勝負に持ってゆこうとする編成のやり方である。この作戦は、まんまと成功したようで、時に民放ラジオの方がNHKを凌駕するときもあったのである。
 例えば手元の1954年のラジオ東京・日本文化協会・日本電報通信社(現・電通)による第3回ラジオ聴取率調査(1954123~29日)の聴取率の結果を見ると、以下の通りである。NHKの“強い”番組には“弱い”番組をぶつけ、NHKの“弱い”番組には民放は“強い”番組をぶつけている様子が窺い知れるだろう。



第三者調査機関による調査の必要性


  これまでの民放の調査は、民放ラジオ局それぞれが調査を実施したり、電報通信社(現・電通)が胴元となって年に数回実施する調査であった。そのためそうした調査では客観性がなく、“信頼性に欠ける”という批判も少なくなかった。やがて第三者の調査機関による調査の実施が検討されるようになった。しかし調査機関を変更するにはいくつか超えなければならない「壁」があったのである。その一つがラジオ聴取率調査という“美味しいビジネス”を独占してきた「電通」に“イエス”と言わせることであった。(つづく)