テレビウォッチャー

2014年7月31日木曜日

第13回:視聴率に対する「批判」その4

テレビの売り場面積を増やせ!
 テレビが茶の間の人気者となり、そのメディア・パワーを見せつけたものの、1960年当時の人々には今のように「深夜」にまでテレビにかじりつくといった習慣はなかった。逆に言うと、テレビはゴールデン・タイムまでのメディアであり、夜の11時台、テレビを見ていた世帯の率(HUT)15%ほどでしかなく、文字通り「不毛の時間帯」だったのである。正にテレビにとって「売り場面積」を増やすことが至上命令となったのである。
 こうした時間にテレビを見てもらうべく「風穴」を開けたのが“お色気路線”であった。「11PM(日本テレビ)、「テレビナイトショー(フジテレビ)」、「おいろけ寄席(東京12チャンネル=現テレビ東京)」などが、続々登場し、大人の男性を引きつけたのである。その甲斐あって、HUT70年には21%、75年には25%と順調に伸びていった。

視聴率の「ポルノ批判」
 そんなか、テレビに対し、“低俗テレビ番組”論議が火を噴いたのである。19757月、
日本共産党・宮本顕治幹部会委員長による手厳しい“ポルノ的番組”批判の記者会見が、それである。「わたしは見ていないが」という前置きで始まるその談話は、各紙の報道によれば、おおむねこんな具合であった。「むき出しの退廃的映像が一部のテレビを通して家庭に侵入し、子供の心を蝕み、非行を増加させつつある」、「いくら表現の自由といっても、商売だからといっても、公共的放送のテレビが、ポルノ番組を子供のいるところに流し込むのは、文化政策としても問題がある」、「国民の精神生活や道徳に政党が責任を持つのは当然のこと。革新には革新の道徳があり、傍観的態度はとらない」というものであった。始末が悪いのは、そうした「番組の低俗化」の背後に「視聴率主義」があるとの批判が見え隠れしていたからである。

「テレビ罪悪論」と視聴率批判
 単なる統計指標として、“どれだけの世帯がこの番組を見ていたのか?”を算出している「視聴率」に対して“番組の低俗化を助長する「諸悪の根源」”とは、何という濡れ衣だろうか?
 当然ながら、「視聴率」と「番組の低俗化」論議とは、切り離して議論すべきである。イ)暴力シーンは短絡的に少年の非行に結びつけられるべきではない
ロ)社会にとって都合の悪いことをテレビの所為にする風潮は誤りではないか
ハ)テレビは単なる道具であって、道具の使い方は、それを使う親や個人の責任である
ニ)「ワースト狩り」でことは解決しない
 ビデオリサーチは筆者が中心となって、以上のような異論を立ち上げ、視聴率「悪玉論」に対抗していったのである。
  ただ、高視聴率番組はテレビ局にとって「好業績」をもたらすことは言うまでもなく、“好業績→高収益→従業員の高収入→視聴率志向”という視聴率至上主義のスパイラルが消滅するわけはなかったのである。とはいえ一部の広告主から“質の高い番組を求める”声も高まり、番組の「質」を測定する新たな試みが出始めたのであった。(つづく)