テレビウォッチャー

2014年12月26日金曜日

第19回:視聴「質」調査の導入をめぐって③

米国での視聴率調査カンファレンスに参加
 前回でも述べたとおり、1990年12月6、7日の両日、Arbitron社のP.メグロッツ氏とMediafax社のB.マケーナ氏からの強い勧めによってニューヨーク・ヒルトン・ホテルで開催されたARF(Advertising Research Fpoundation)による“Rating at a Crossroad”というカンファレンスに参加した。
 ARF会長のM.ネイプル氏の基調講演は格調高いもので、“このように変化の激しい中、リサーチ会社は信用を第一とし、確固たる責任を持ち、関係各方面との「対話」と「協調」を持ってリサーチ業務を推進することが肝要である”と、リサーチ・カンパニーの調査により一層の「信頼性」、「妥当性」、そして「正確性」を求めたのであった。
 シンポジュームではリサーチャー各氏から、「新しい測定機の開発」、「対象世帯の調査応諾率の向上」、「調査サンプルの中途脱落の防止策」、「ボタン操作の押し飽き:fatigue」などについて、真剣な発表が行われ、フロアとの激しい討議が交わされた。

スピーカーから得たもの
 カンファレンスの終了後は、スピーカー各氏への面談を申し入れ、およそ半月間かけて、「米国におけるピープル・メータ調査の問題点」について、三大ネットワークや大手広告代理店、広告主など、主にユーザー・サイドからの意見を取材して回った。
 訪問の結果、“ピープルメータ調査は測定機のみならず、調査会社の調査への対応”に大きな問題があることが判明した。つまり「サンプル世帯への調査指導=Sample Education」を如何に行うべきかである。そしてこれらの知見をもとに“この調査を導入するに際しては、ビデオリサーチは如何に対処すべきか?”について、当社独自の施策を作り上げることである。

「個人視聴率調査統括部」へ配転
 ピープルメータ調査の海外情報収集にうつつを抜かしすぎたのかも知れない。当時、経営計画室長にあったが、その任をすっかり忘れ、「新たな視聴率調査に取り組むべき姿」に夢中になったためか、“それなら現場で「導入」でも考えろ”と、配転を命ぜられた。しかも部付部長である。それでも久しぶりの現場は楽しい。それならば“徹底的に「海外情報」を収集してやろう”と、欧米での視聴率調査シンポジューム(WAM:Worldwide Audience Research Symposium)には極力参加し、新たにリサーチャーとの面識を増やし、「識者気取り」で欧米のリサーチャーと論議を展開した。なかでも痛快な経験は、綱渡りでのミーティング・アポイントメントで、“ニューヨーク着何時何分の飛行機に乗るから、待ち合わせは何時にどこどこで”とか、“ニューヨーク発何時何分で、パリ着何時何分。チューリッヒに何時何分に出迎えを頼んでいるから、移動は絶対にコンコルドでなきゃ間に合わない”などといって、経理当局の手を煩わせた。それでも測定機情報の収集やサンプル・エジュケーションにおける「インセンティブ」の効果など、その成果は十分なものであったと自負している。
 ところがそんな折も折、思わぬビデオリサーチ批判が起きたのである。

「資金ショートが開発の足架せに」との週刊誌報道
 ニールセン社のピープルメータ導入に示す「積極的姿勢」に対し、ビデオリサーチ社の「消極姿勢」に業を煮やしたわけではあるまいが、週刊朝日から『ビデオリサーチが土地投資で窮地(1994年1月7,14日合併号)』なるスクープ記事が出た。【地下鉄有楽町線・新富町出口側の約134坪に45億円をつぎ込んだものの地上げは成功せず(中略)、しかも先決的決議事項であるはずの議案にもかかわらず、取締役会に諮られることはなかった】というものである。記事は半ば正確、半ば不正確なものではあったが、1兆7,000億円のテレビ広告費の生死を握る視聴率調査の元締めが、その“「導入」を渋っているには何かしらの理由があるはずだ”という業界の苛立ちが、こうした記事を書かせたと考えられる。
 いずれにせよ、この記事がビデオリサーチの、この調査の「導入」に大きな影響を与え、社内抗争を引き起こし、ひいては石川正信社長の「罷免」の引き金になったことは間違いない。 
(つづく)

2014年12月2日火曜日

第18回:視聴「質」調査の導入をめぐって②


前回までのあらすじ:1962年に始まった機械式の視聴率調査であるが、そのデータについては、さまざまな批判が展開された。なかでも代表的な批判は、“こんなに少ない数で、データは正確なのか?”という「正確性」に関する批判と“猫が見ていても視聴率か?”という視聴の質をめぐる「信頼性」についてであった。
 業界では広告主が中心に視聴率という「量」の尺度のほかに、誰が見ているのかを測る視聴者の「質」という尺度があってもいいのではないかという議論が起こり、当時(1987年)、米国で開始されたばかりの「ピープルメータ調査」のわが国導入の可能性が議論され、活字メディアは“先進6ヶ国でピープルメータ調査を導入していないのは日本だけだ”と煽り立てた。
 こうした批判に、いち早く応じたのが、日本ニールセン社であった。テレビ調査の売り上げで、ビデオリサーチ社に大きく後れを取っていたニールセン社にとって、ピープルメータ調査の早期導入は願ってもない「神風」だったのかも知れない。


“それならわが社が、とニールセン”
  日本広告主協会(主協:現日本アドバタイザーズ協会)の強力なバック・アップが得られるとの確信から、日本ニールセン社は、この導入に積極的であった。いち早く米国での導入の一部始終を発表し、“セット・メータによる世帯視聴の調査はビデオリサーチだが、ピープルメータによる個人視聴の調査はわが社に!”とばかり、積極的に導入を推進した。一方の民放連(日本民間放送連盟)が“現行のピープルメータ調査では、“測定数値が低くなる”、“ボタン操作が正しく行われてないのではないか?”など、問題が多々見受けられると導入に異論を唱えると、ニールセンは“しからば、現在、米国で鋭意研究開発中の完全自動化による個人視聴の測定メータ「パッシブ・メータ」のデモンストレーションをさせて欲しい”というように、機械式個人視聴率調査導入に向けた「陣取り合戦」は、ニールセン社主導のままに展開されていった。

慎重だったビデオリサーチ
 対するビデオリサーチの対応は、どうだったろう? 当時、経営計画室・室長であった筆者は、この調査の導入については、1985年、英国の視聴率調査会社・AGB社が米国のボストンでこの調査の実験を開始した当初から強い関心を示し、三大ネットワークCBSの調査責任者D.ポルトラック氏を始め、ABCR.モンテサーノ氏、NBCP.スケボーン氏、米国広告調査財団(ARF)のM.ネイプル会長やL.ストダードJr.氏、広告代理店S&S社の広報責任者B.フランク女史、視聴率調査会社ニールセンのJ.ディムリング社長及びニールセンの競合・アービトロン社のリサーチ・ディレクターのP.メグロッツ氏らを訪問し、情報の収集に努めた。
 筆者の得た情報をもとに、米国には、さらなる問題としてOOHOut Of Home Viewing:自宅外視聴)の測定やVCRの測定調査などがプライオリティとしてあるものの、この調査が近日中に広告取引のスタンダードとなるとの判断から、導入の準備は怠りなくしておくことが確認された。しかし、表面上ビデオリサーチの取ったスタンスは、あくまでも“主協、業協(日本広告業協会)、民放連による「三者合意」が先決”という慎重なものであった。

米国リサーチャーの協力
 一方、P.メグロッツ氏と彼の朋友で当時プエルトリコでピープルメータ調査を導入した視聴率調査会社Mediafax社のB.マケーナ社長には、その後の情報を漏らさず教えて欲しいとの約束を取り付けた。今もって、彼らの献身的な協力なくして、ピープルメータ調査の導入に的確な判断は出来なかったろうと思う。
 翌1988年、ネイプル氏からCONTAMがニールセン・ピープルメータ調査を検証した「CONTAM Report(*)」が送られてくるとともに、ストダードJr氏とマケーナ氏からARF主催のシンポジューム「Worldwide Electronic Audience Measurement 」のカンファレンスが、ニューヨーク・ヒルトンホテルで開催されるので“是非、来るように”との案内が届いた。
(つづく)

(*)CONTAM及びCONTAM Report1962年にニールセン調査の検証を目的として、3大ネットワークが中心となって創設した監査機関。
CONTAM Report1988年から22ヶ月、100万ドルの経費を投じてピープルメータ調査のサンプリングからレポーティングまでの全行程について、その整合性を監査した全7600ページに及ぶ監査報告書のこと。