テレビウォッチャー

2014年8月29日金曜日

第15回:大物キャスターの「舌禍事件」

視聴率は「インチキ」ですよ
 とんでもない視聴率「批判」が飛び出した。批判の主は,当時NHK「ニュース9」のキャスターとして、当時・人気絶大だった磯村尚徳(敬称略)である。
 批判は「田原総一朗の『日本の顔』に真っ向勝負」(19861213日号:週刊現代)の対談記事として掲載されたのである。磯村はこう述べているのだ。
 「視聴率というのは、ビデオリサーチとニールセンと二つあるのですが、わたしは長年、生放送をやってきた実感からいいまして、あれはインチキですよ。NHKでやっている世論調査と数字が随分違います」、「“おしん”とか“澪つくし”とかありますね.ビデオリサーチとかニールセンで見ると五十パーセントとか何とかいうのですが、NHKの調査ではせいぜい二十パーセント程度なのですよ。日本人の二人に一人が見たとか大騒ぎしたけど、実際はそうじゃないわけです」、「実感からいうと、あそこで高いからよく見られたというのは非常に間違いだと思いますね」と、ビデオリサーチやニールセンの視聴率調査を「インチキ」と決めつける発言が掲載されたのである。

怒ったビデオ、ニールセンが連名で抗議文
 知名度も高く、社会的にも影響力の強い磯村の発言だっただけに、ビデオリサーチ、ニールセンの両社はこの発言を問題視。両社の社長が連名でNHK会長・川原正人に対し、(1)速やかに週刊現代の掲載ページ末尾に謝罪文を掲載すること。(2)今回の事態に対する貴協会としての正式見解を文書にて示すことの二点をビデオ・リサーチ及びニールセンに対し示すこと。(3)万一、この二点につき、明確なる返答が得られない場合には、法的措置も執らざるを得ないことを、念のため、申し添えるとした厳重抗議と謝罪を同年1212日付の書簡にて申し入れたのであった。

磯村から詫び状
  はじめは「タカをくくっていた」磯村も、同局の調査の専門部署である放送文化研究所幹部から“われわれの実施している「個人視聴率調査」とビデオリサーチやニールセンの「世帯視聴率調査」とは調査手法が異なっているため、そうした違いが出るのは当然で、あなたの発言は大間違いだ。即刻謝った方がいい”との進言に慌てたようだ。
 まもなく19861210日付けでパリから「先般 週刊現代誌上の対談で私が言いました視聴率に関する言葉足らずの発言により・・・・」で始まる謝罪文がビデオリサーチ社長宛に送られてきたのである。“こちらはNHK会長宛、正式な抗議文を出しているのに個人的なホテルの便せんに殴り書きしたかのような謝罪文で事が済むと思うのか!”と石川は激怒した。

密室で謝罪されても困る
 パリから帰国した磯村が、直ちに謝罪のため、来社した。秘書室長だった筆者も同席し、その一部始終をメモに取った。テレビではにこやかに斜に構えて“こんばんわ。ニュース9のお時間です”と堂々と話す磯村が、やけに小さく見えた。“このたびは・・・”と蚊の泣くような小声でわびる磯村に、石川が憮然として言い放った。“密室で謝られても困ります。公の場で謝罪してもらわなければ・・・”磯村の頑丈な体がみるみる小さくなった。
 しかし、そんなとき横暴とも言える横やりが入ったのである。横やりの主は「電通」である。“何とか無難にことを収められないか?”というのである。結局、事態は週刊現代の誌上での小さな囲みによる「訂正記事まがい」の謝罪文の掲載で終息した。
 相当な知識人であったとしても、視聴率への「誤解」、「誤謬」はあるものだと身をもって感じさせられ、以後、視聴率調査の「啓蒙」に腐心することとなったのである。

                                                                   (つづく)

2014年8月22日金曜日

第14回:視聴率も「量」からへ「質」

はじまりは「猫視聴」
  第二次オイルショック(1978年)を機に、景気は一時落ち込んだものの、80年代の半ばからは円高・株高・債券高のトリプルメリットにより、経済は活況を取り戻した。しかしテレビを取り巻く環境はテレビ・ゲームの普及やホームビデオの定着など、多メディア化が進み、これに呼応するかのように、視聴率にも「質」が求められるようになっていった。
 引き金となったのは「猫視聴」である。誰もいない居間にはテレビが付けっぱなしになっていて、その前の座布団の上にはネコが気持ちよさそうにうたた寝をしている。こんな「一コマ漫画」により、“視聴率は、誰が見ているのか判らない”という批判が、業界を席巻したのであった。
 業界も日本民間放送連盟研究所(民放研)が中心となって、「番組の視聴充足度調査」を実施。番組の視聴者への視聴満足度を測定したのを皮切りに、NHK放送文化研究所が見た人の番組に対する評価を調べた「よかった率」。さらにはビデオリサーチ社の「TVQ」など、番組の見ての感想や評価を測定する調査が行われるようになっていった。

しょせんはエキスキューズ
 とは言え、それらのデータの使われ方は、「低視聴率番組のいいわけ」ともとれるものでしかなく、“確かにこの番組、視聴率は低いかも知れませんが、見た人の評価はこんなに高いですよ”とか、“こんな年齢層によく見られ、御社製品のターゲットをカバーしていますよ”など、しょせんは「エキスキューズ」として利用されることが多かった。
 また民放研が5年にわたって継続的に調査した「番組充足度調査」でさえ測定データが使う側の意に沿わぬことが多々あり、営業現場は、“折角売り込んだのに、このデータのお陰で交渉が「破談」になった。ぶち壊しだ!”などと、調査当局と営業とではデータの利用が一枚岩にはならないことも数多く見られたのである。

当時のリサーチャーの考え方
 ここで当時の調査部門の責任者たちの視聴率に対する考え方を、提言を含めてまとめておこう。
・「(視聴率は)一年を通じ、全番組を調査しているので、誤差を考慮して正しく読み取ればデータとしては十分使える。しかし一歩踏み込んでさらに細かい分析をしようとした場合、やはりサンプル数が少ない」(日本テレビ 岸田 功)
・「絶対に正しい視聴率は果たして必要だろうか。推測を許す余地があるくらいの方が  よいのではないか。視聴率が完璧な数字となると、現在でも勝手に一人歩きしている視聴率が絶対的権威を持ってしまう。その結果、何がなんでも視聴率となり、視聴率崇拝の傾向が強まるのではないか」(TBS 上村 忠)
・視聴率はいわば量を測る間口、質を測る尺度も必要ではないか」(民放研 野崎 茂)そうしたリサーチの専門家たちの考えを知ってか知らずか、とんでもない発言をした「御仁」がいた。次回はその男の起こした「舌禍事件」について話をしよう。 (つづく)