テレビウォッチャー

2015年4月30日木曜日

第23回:ピープルメータ調査の導入 後日談(続) ビデオリサーチのお家騒動と大株主・電通の介入

社長を訴えた常務と監査役
  ピープルメータ調査の導入後、ビデオリサーチ社には創業以来、かつてない大嵐が吹き荒れた。三代目社長石川正信が「商法違反」を指摘され、退陣を迫られたのであった。ことの次第はこうだ。第19回の当ブログでも触れたが、週刊朝日にビデオリサーチがピープルメータ調査の導入に消極的なのは、土地投資の失敗による資金ショートに原因があると指摘する記事が掲載された。
 取締役会の「先決的決議事項」であるにもかかわらず、これに諮ることなく土地取引を独断実行したことは「善良な管理者としての義務違反」であると、常務取締役の山本三郎と常勤監査役の山之口俊彦の両名が、文書をもって社長退陣の狼煙を上げたのである。
 事態は大株主電通の知るところとなり、電通がその「鎮圧」に乗り出したのである。

電通による介入
  ビデオリサーチ社の創設時は別にすると、大株主である電通の社長人事による介入は、今回が二度目であった。198410月、二代目社長・波田野静治がスキルス性の癌のため死去したとき、電通社長の田丸秀治が“三代目社長にはこの男を”と石川正信(電通マーケティング局長:当時)推挙してきたのが最初である。石川はDCDDentsu Corporate of America)の社長を務めた男で、海外、とりわけ米国のメディア・リサーチに詳しく、田丸の片腕として、手腕を発揮していたため、田丸は社長に推したかったのであろう。しかしビデオリサーチ・サイドは専務取締役・渡部文雄の社長昇任を考えており、田丸の「石川案」を断念させるべく、創業以来、監査役、相談役をお願いしていた東芝会長・岩田一夫に事情を説明し、電通田丸に石川案の断念を依頼した。岩田は田丸に対して“資本と経営は別物。三代目社長はプロパーから”と、渡部案を強く主張したが、田丸の“今回限りは、石川で是非”との申し出を断り切れず、“以後は必ずやプロパー社長で”と念押しして、三代目社長として石川を受け入れたのであった。

4代目社長はかつてない大物
  そうした経緯があってか知らずか、“さもビデオの社長人事権は電通にあり”といわんばかりに、4代目社長に石原昭利(電通副社長・当時)が送り込まれた。そこにはかつての「岩田・田丸会談」で取り交わされた密約は反古となってしまっていたのである。
 創業以来の「ごたごた」とピープルメータ調査導入直後の「混乱」を鎮めるには、電通の現役副社長の「にらみ」をおいて、他に手段はなかったのかも知れない。いずれにせよ、ビデオリサーチによるピープルメータ調査は、何事もなかったかのように、「スムーズ」な船出となったのである。
 ピープルメータ調査の独断導入を図ったニールセン・ジャパンは、民放各社から契約の打ち切りを申し渡され、199912月をもって、わが国における1961年来の視聴率調査の幕を下ろしたのである。
 ビデオリサーチ社の視聴率調査ビジネスの「一社独占」体制が確立していったのである。

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